2007年01月03日

久保田耕平氏の評論

俳句同人誌「青陶」37(2007.1 久保田耕平発行)の記事より

  “二十一世紀の俳句への模索(8)
筑紫磐井「詩の起源」を読む 久保田耕平

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2006年05月08日

後期理論批判

 藤井の心理発生説は、折口信夫の逆襲で簡単につぶされそう、だと磐井さん。
 だが、即興の効果ということ自体では、あえて異論を個人的には唱えたい。しかも、ジャズの即興演奏について、少しふれてからのほうが、批判するにも有効だろうという言い方を、あえてしておく。
 ヴントという民族心理学者の説も磐井さんは出しているが、確かに藤井には不利だろう。
 で、散文文法なしに和歌研究を、という藤井の間違い、というあたりも、磐井さんを買っておきたい。
 形式論が詩のすべてではないにしても、本当にこの分野は個人的には得るところが多かった。
 五七律外国導入説批判は、ここでは磐井さんの扱いも正しい。五七以外も、日本には以前からあったが、外国の影響を受けたわけがないはず、と。
 で、小西甚一についてはここではふれない。
 最後に、物語学が批判される。物語学があっても詩学があっていいはずという磐井さんの現に賛成して、このブログを終える。
 個人的には、磐井さんの本へのアレルギーもなくなり、また論の進め方も参考になった。
 アクセスいただいた方にも感謝する。

 さて、明日からは『定型詩学の原理』を読む。↓をよろしく。
 http://teikeisigaku.seesaa.net/
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2006年05月07日

フルコトの範囲と確定

 フルコトについて、記紀の一語から、定義もきちんとしないで、『古事記』に展開する藤井が不安、と磐井さん。
 で、吉本隆明の『初期歌謡論』は、フルコトという語は使っていないが、あるところまでは藤井に似ている、と。
 しかし、吉本は定型的構造に関心が移っていく、という。
 そして、「語源がわからない不協和な言葉」は「対句」などにはなりにくい、という磐井さんの指摘に、今さらながら、個人的にはハッとした。
 そして、対句などは呪術的効果があったが、「語源がわからない不協和な言葉」については、そうかどうか不明、と。
 少なくとも個人的には、磐井さんの、詩歌についての、形式的側面での分析方法には、得るところが多い。
 さて、この後に、以前にふれた、『歌経標式』批判が出てくる。

 明日の、後期理論批判で、このブログの最後とする。
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2006年05月06日

神がかりの系譜

 神への言いかけ・神の語りは、沖縄と大和上代では同じではない、と磐井さん。
 そして、代表的な祝詞を示していく。
 次いで、叙事詩に展開。
 祝詞形式は散文ながら、用語反復(羅列形式)の修飾性で定型性を持った、と。
 呪詛としての効果のためには、枕詞などではなく、「反復」という工夫が必要だった、と。
 で、歌謡と神がかりは、お互いを利用しあい、別個独立の発展だった、とも。
 明日はフルコト批判。
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2006年05月05日

口頭構成法

 叙事詩で、決まり文句を駆使し再構成することである、と磐井さん。
 特殊な創造、つまり再創造で、詩の伝承にとどまらない発生問題、とも。
 決まり文句の駆使は、ある限られた内容の辞書から言葉を抜き出すことを意味するから、「辞書態反復」とも言っている。
 で、「詩の発生は反復による」という定型の定義である、がまとめである。

 以上のことに異論はないが、本の読者には目新しい情報ではないのを承知で、活字媒体などでの記録ができない状態での、記憶にはどういう手段が考えられるかを強調すべきではなかったのか、という気が単純にする。
 反復の一種として、西洋でも中国でも、脚韻が発達した。また、それが効果的であるためには、律を揃える必要があった。このあたりは、個人的関心。
 だが、なぜ、そういう中でも、これまで日本語に脚韻が発達してこなかったのか、磐井さん流に考えてみては、というヒントが得られた。
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2006年05月04日

琉球歌謡の定型分析

 朔太郎の『詩の原理』でのように、詩の本質論と形式論は分けて論じるべき、と磐井さん。
 しかし、自由詩全盛で、形式論もなくなってしまった、と個人的には愚考。磐井さんは、形式論が評判が悪い、と言っているが、俳人からの遠慮がすぎるようにも思う。
 それでも、琉球歌謡には@オモロ形式Aクェーナ形式B琉歌形式、の三つがある、と藤井が書いている、と。
 後に行くほど発展形式だが、基本的なことは不明、とも。
 そして、定律様式に先立って二つの定型様式が存在する、という琉球歌謡での仮説を、磐井さんは大和上代歌謡に適用し、新たな発見、と磐井さん。
 クェーナ形式が「要素反復形式」、オモロ形式が「構造反復形式」と。
 従来、短歌、長歌、旋頭歌など、五七を反復要素とする定律詩という理解がされていたことへの反発である。
 万葉集にだって、これ以外の律があるのだから、と。
 「詩の発生は反復による」という最後のあたりから、明日。
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2006年05月03日

定型詩学前史

 歌謡の定型的分析、と磐井さんの土俵に引き込んで(?)の展開である。
 歌うウタの四要件に、冒頭から批判が始まる。
 節名はどう考えても必須でない、もれなくついているというわけではないはず、に納得しつつ、その程度のこと(?)をどうして藤井が気づかなかったのか、ということをむしろ感じると述べておく。
 歌われる場所、状態は、資料の上ではいっそうおぼろげだ、というのにも同感である。
 そういう流れで、装飾音韻と繰り返しに注目すると、多くの人がすでにそういう考え方をしていた、と磐井さん。
 藤田徳太郎では、対句に個人的には注目しておきたい。
 ヴントでは、「折返し」に。
 土田杏村では、「囃子」に。
 小西甚一説は、バウラの説を紹介していることを。
 
 明日は、琉球歌謡の定型分析に進む。
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2006年05月02日

後期理論の新項目

 歌謡の本質を、宗教信仰説でもなく、祭式発生説でない、心理発生説を主張、と磐井さん。いつもながら、こだわった表現である。
 文構造的な詩学として、物語論の投影された和歌研究を、磐井さんが言っているのもいい。
 が、五七律外国導入説は、申しわけないが、とても賛成できない。
 中国語では、1文字1音節、しかもそれが日本語では2音節相当である実情をご存じなのか。
 日本語における大和言葉の場合、動詞の活用語尾の長さもまちまちだったり、名詞の音節数もいろいろで、中国語の律が日本語の律に影響する余地はない、と愚考している。

 1か月経ったが、終わりまでもう少しだけ続ける。
 明日から、発生論の批判。
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2006年05月01日

藤井後期理論

 前期理論に磐井さんが感じるような問題点があったと藤井が感じているからこそ、後期理論を藤井は打ち出したのだ、という感じで始まる。
 前期理論時代から、叙事詩から叙情歌という折口信夫路線に藤井は批判的であると、磐井さん。後期理論でそのことがはっきりした、とも。
 そして、唄えるウタの系譜のところでは、藤井は理論でなく聴覚で、後期理論も進めていることに、磐井さんの驚きというか、藤井への違和感を感じる。
 そして、藤井は『物語理論講義』で、前期理論を変更している、と磐井さん。
 例えば、折口を乗り越えようとはしていたが、決別をむしろ意味するような一節があることが示されている。
 また、発生的和歌研究批判もしている、と。西郷信綱批判なのか、詩の発生的研究批判かはわかりにくい、と磐井さん。
 さらには、基本シナリオも変質している、と。
 明日は、後期理論の新項目へ。
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2006年04月30日

上代文学におけるフルコト

 藤井には「物語のフルコト論」と「歌謡のフルコト論」があった、と磐井さん。フルコト論が、物語と歌謡の交接点をなしている、とも。
 フルコト論を論じた2冊の著作が、物語のほうのフルコト論ではあっても、詩の発生にフルコトを結びつけているので、見ていかねばならない、とも。
 藤井は宣長のフルコト論が所説だったが、『古今集』では和歌、『源氏』えは古歌、『うつぼ』では古事旧例を指していた、と磐井さん。
 結論から言えば、一つの詩でなく、一つの語をもって、これも詩だ、というのは無理がある、というのが、磐井さんの藤井評である。
 その後に、フライングして7日にふれた『歌経標式』が出てくる。
 その古事と新意による制作原理の中に発見された「古事」とは、枕詞であって、フルコトが歌と結びつく、と磐井さん。
 ウタとフルコトの関係表で、ここは終わる。あえてそれはここには引かない。
 これで前期理論は終了。明日から後期理論へ。
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